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2014.10.31更新

宮本武蔵の木刀   
中山信義
 先日、何人かの仲間と名古屋市南区の笠寺界隈をめぐってきました。
 2月の節分の豆まきで有名な笠寺観音でご祈祷してもらいました。笠寺観音の正式名は真言宗天林山笠覆寺とのこと。なぜ、笠を覆う寺という名前になったかについて副住職さんからお聞きした話は以下の通りです。
 開山は天平8年(736)で、呼続浜(ということは当時、呼続に海岸線がありその西は海であったことになる)に打ち上げられた霊木に十一面観音菩薩を刻み、寺を建立し安置したのが始まりとのこと。その後、約200年経ち、寺が荒廃し、本尊が野ざらしになっていたとき、自分の笠を本尊に覆い本尊を雨露から守った信仰深い娘を、東国に下向し鳴海に立ち寄った藤原兼平中将が見初め妻にした。そして、夫婦で再び下向し現在の地に仏殿坊舎を建て、妻が本尊に笠を覆った縁をもって寺号を笠覆寺とした。そのため、縁結びにも御利益(ごりやく)があるとのことです。
 また、境内には、松尾芭蕉の句碑や宮本武蔵の百回忌に建てられたとされる碑(写真参照)もあり歴史を感じさせるたたずまいでした。



 また、笠寺観音の近くに宮本武蔵ゆかりの寺があるということで訪ねました。笠寺観音からは徒歩5分くらいの場所で、東光院と称し、笠寺観音の宿坊として創立されたとのことです。本尊不動明王は約1200年前に伝教大師最澄の作とのことで、台座が波の形をした波切不動尊で、海・水の守護佛として特に漁師や船乗りの人に信仰が厚いとのこと。
 そして、宮本武蔵が、尾張徳川家に仕官するために逗留したのがこの東光院で、結局仕官が叶わなかったものの、武蔵の武術が評判になり、近くに道場を開き二刀流を指南したとのことです。そのため、東光院には、武蔵直筆の掛け軸、武蔵の肖像画、武蔵自作の木刀等が寄進され現在も残されているとのことで、今回、特別に拝観することができました(写真参照)。肖像画には、「運は天にあり 勝は人にあり」と書かれていて、武蔵の生き方を述べたものといわれているようです。また、木刀は、二刀流のうち左手用に作られたもので、実際に持たせていただきましたが、意外と軽いというのが印象的でした。
 なお、住職さんのお話では、我々が訪れた後にテレビの取材が入っており、BSの歴史番組で女優の杏さんがリポーターとして来られるとのことで、どことなく嬉しそうなのがうらやましく思い帰途についた次第です。

投稿者: 中山・辻・加藤法律事務所